料理教室、手芸教室、生活レッスン等を1人で教える
「のんののひとりカルチャー教室」代表ののんのです!
(現在は主に大阪・吹田、三重・伊賀で活動中!)
この記事では、私の半生を勝手に
自分で振り返る、「私のこれまで」シリーズの
第6弾をお届けします。
(第5弾はこちらからどうぞ♪
今回のテーマは
「義母の病気と、私の思い」です。
充実した日々が続いていた1993年
義母が病で倒れたのを機に
大阪府の夫の実家に戻ることになりました。
義母の病は卵巣がんの末期。
サイレントキラーと呼ばれる通り
発見された時は末期の状態でした。
夫の動揺は大変なものがありました。
夫の両親が揃ってがんということで
家系なのかと、主人や、血を引く子供達の健康に
ますます注意することになっていきました。
(義父は、41歳の若さでがんで亡くなっています。
夫と結婚した頃には、とうに亡くなっていたので
私も会ったことがありません。)
義母は発見から2度の手術と
何クールになったのか、今では
思い出せないくらいの抗がん剤を投与され
副作用に苦しみながら1年半でこの世を去りました。
当時30代前半の私が
義母に出来たことは余りにも未熟で
何もしてあげられなかったという後悔と
抗がん剤に対する恐怖心だけが残りました。
「末期であったのなら、抗がん剤治療を
しなくても良かったのではないか?」
「治療に意味があったのか?」
今思い出しても義母には
申し訳ない気持ちでいっぱいになります。
義母ががんで亡くなったことで
食の安心・安全への思いは一層高まり
野菜の農薬使用や食品添加物・アレルギーなどの
問題を教室内でも取り上げていました。
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