料理教室、手芸教室、生活レッスン等を1人で教える
「のんののひとりカルチャー教室」代表ののんのです!
(現在は主に大阪・吹田、三重・伊賀で活動中!)
この記事では、私の半生を勝手に自分で振り返る
「私のこれまで」シリーズの第5弾をお届けします。
(第4弾はこちらからどうぞ♪
今回のテーマは「結婚、子育てから最初の教室スタート」です!
結婚してから2年目に夫の仕事の関係で
兵庫県西宮市に転居しました。
この土地での生活が
私の食の安全意識に
大きな影響を与えてくれました。
西宮では二人の息子を授かり
子育ての日々を送ることになり
家族の健康が生活の柱となりました。
結婚当初から家族の健康に対する思いが
人一倍強かった一因は、夫が13歳の時に
父親をがんで亡くしていたからでした。
夫を同じ目に遭わせたくないという思いから
がんにならない生活を送ることを基本として
食べるものを中心に体の害になるものは
出来るだけ避けようと心がけ
子供を授かってからは
その思いが一層強くなっていきました。
その頃の西宮市は灘神戸生協を中心に
衣・食・住に対する安心・安全意識が
根付いていたので、地方から来た
私にとっては衝撃的でした。
当時の生協には「厳しい消費者の目」が
あったように思います。
今のような個人のクレームとは違い
消費者の声や提案には
社会や生活の改善に繋がるような
意識の高さが存在していたように思います。
子供たちの口に入るもの(特にお菓子や飲み物・おもちゃ)
へのチェック体制などは、若い母親にとっては
心強い存在でもありました。
また、そこに暮らす人たちの
安心・安全意識の高さも勉強になりました。
いつの間にか、手作り第一だった
私の実家のような、都会での手作り生活が始まりました。
そして自然発生のように
同世代の子育て中のママ達と
料理やお菓子、手芸などの生活教室が
スタートしていました。
「誕生日にケーキを作りたい!」
「子供にパジャマを作りたい!」
「料理のレパートリーを増やしたい!」など
料理や縫い物が得意ではない人でも
新婚時代や子供が小さい頃には一時
「作りたい・作ってあげたいと思う時期」が
女性にはあるようで、仕上がりと
家族が喜ぶ顔を想像しながら
みんなで楽しい時を過ごしていました。
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