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【私のこれまで➁♥】手作り命の父と母!

料理教室、手芸教室、生活レッスン等を1人で教える

のんののひとりカルチャー教室」代表ののんのです!

(現在は主に大阪・吹田、三重・伊賀で活動中!)

 

この記事では、私の半生を勝手に自分で振り返る

「私のこれまで」シリーズの第2弾をお届けします。

 

(第1弾はこちらです!

【私のこれまで①♥】生い立ち~家庭環境

厳しく怖い父が、1番大切にしていたことが

「食べること」と「料理を作ること」でした。

 

とにかく何でも「手作り」。

もっとも、約40年前の田舎には

外食できるところも限られていましたので

我が家に限らず、どこの家庭でも

当たり前のことでした。

 

戦争を体験した両親でしたが

戦後大転換した世の中の価値観に

即対応できたのは、反動だったのか

二人共新しいものが

とても好きな人たちでしたヽ(*´∀`)ノ

 

毎日の料理は季節にとれる野菜を中心に、

いろいろなものを食べさせてくれました。

 

世の中に洋風料理が

たくさん紹介されるようになると

出来るものはどんどん家庭の中に

取り入れてくれました。

母は20歳で父のもとに嫁いだため

全く料理が出来なかったのですが

結婚後、父に調理師免許を取りに行かされ

それから料理の楽しさを覚えたようで

忙しい時間を上手に使って

色々な料理に挑戦してくれました。

 

父は、仕事などで訪れたお店に行く度に

気に入った料理の作り方を教わっては

母に家庭料理として作らせ

家族に食べさせてくれましたO(≧▽≦)O

 

ステーキを焼く時は大騒動で

「フライパンで肉の片方を焼いたら

ひっくり返してブランデーを注ぎ、火を入れ

炎が上がったら蓋をする!」など

料理のコツをたくさん教えてくれました。

 

料理のメニューだけではなく

今でも珍しいキッチン雑貨なども

幼い頃から触れさせてくれました。

 

また、「手作りが基本」は料理にとどまらず

洋服は洋裁を教えていた祖母の手作りでした。

祖母は明治生まれでしたが

とてもハイカラな人で、その祖母が洋服だけでなく

中学生になるまで下着やパジャマなども

作ってくれていました。

 

続きはこちらです!

【私のこれまで➂♥】私が家庭に入るまで!

vegenonno: 大阪・吹田、三重・伊賀の「ひとりカルチャー教室」代表のんのこと藤本園美です。乳がん発症9年目突入!ほぼ無治療で現在に至ります!料理、手芸など多岐に渡るカルチャー教室を1人でやっています!皆さんの生活力の向上、そしてより良い人生の実現のお役に立ちたいです。どうぞ宜しくお願い致します!